高槻西ロータリークラブ例会卓話
2002/06/20

         卓話者 : 高  平(米山奨学生)


「幼い日の思い出」


皆さま今晩は、今日お話をする機会をいただき、とても嬉しいです。

昨年から、高槻西ロータリークラブの皆さまから色々お世話になり心からとても感謝しております。 どうも有難うございました。

私は、4年前、中国の北京から来日し、大阪大学医学部の博士課程の4年生に在学中です。高槻西ロータリークラブの皆さまのお蔭で、私は充実した生活を送っています。

私は、いつも自分が北京からといいますが、実際私は北京の出身ではありません。私の故郷は、中国の南の地方である江西省という所で、楊子江の南岸の一つの山村であります田舎です。皆さん、江西省の九江という地名を聞いたことはないと思いますが、それは三国時代 呉の国の領域でした。

私は十代の頃から故郷を出て、もう20年以上経ちました。しかし、幼い日の事は忘れることは出来ません。故郷の事は私にとって、いつまでも懐かしいものです。

今日ここで、私は故郷について話をしたいと思っています。

私の題目は、「幼い日の思い出」です。私の話は、2つの話から成り立っています。1つ目の話は、「故郷の夜景」について、2つ目の話は、「故郷の老木とその葉」についてです。


      (1) 故郷の夜景

  私は中国にいるときは、北京の天安門広場で国慶節の日に花火を見たことがあります。 日本に来てからも京都の大文字の山焼きを見に行ったり、神戸のルミナリエ

を見に行ったりしました。それらの夜景は私にとって美しくて素晴らしいものでした。しかし、それらは私の故郷の夜景とは比べ物になりません。

 では、故郷の夜景とは何でしょうか? それはきれいな夜空と沢山の大きくて明るい星のことです。

私は北京に20年ぐらい住んでいましたが、私の記憶の中では、北京の夜空は汚染のため、星は一つも見ることが出来ませんでした。大阪では星はよく見えるのですが、大阪の星は暗くて遠いのです。そして私の記憶の中にある小さな頃の故郷の星空は非常に美しく懐かしいものです。

小さい頃、故郷では電気がなくて、夜になるとあたりは真っ黒になっていました。車もなくて非常に静かでした。工場もなかったので空が汚染されておらず、夜空にたくさんの星が出て明るく、とても近くに感じました。

故郷は中国の南の地方にあって、夏はとても暑いので朝までずっと外で眠るのは普通のことでした。 そして小さい頃の私は、毎日、星を見ながら会話をすることが出来ました。星がそんなに近いので小さい頃の私は色々な想像と夢が出来ました。  まるでもし、私たちの手がもっと長ければ星を取れると思っていました。

一度私は、母親に聞きました、″一体、お星さまはどのぐらい遠いのですか?″

母は、″とてもとても遠いですよ″と答えました。私は″九江よりも遠いですか?″と聞きました。 ―― 九江は故郷の村から20キロぐらいの町です。母は″九江よりも遠いですよ″。 私は更に″北京よりも遠いですか?″と聞きました。 北京は故郷から2000キロ以上あります。母は少し考えてから、″多分そんなに遠くない″と答えました。そして母は、″大きくなったら星を一つ取ってから、北京に行きなさい″と言いました。 母親はもちろん私を喜ばせるためにそう言いました。しかし母は生涯で一日も学校へ行ったことはなかったのです。その時まで、20キロほどの九江の町へも一度も行ったことはありません。 そして、2000キロ以上の北京は母にとっては、想像出来ないほど遠い場所でした。 星と北京とどちらがもっと遠いのか、母にとっては 本当に分からなかったのです。

 私が大きくなってから本当に北京に行きました。 それは、私の世代の人々にとって普通のことになりました。 その時一番喜んだのはもちろん母親でした。 しかしいくら頑張っても星と近くにならないことも分かりました。

 実際小さい頃、夏の夜、毎日私と会話した星は、非常に非常に非常に遠くて、何億光年以上のものであります。 私が住んでいる地球は、太陽系の惑星の一つです。太陽系は宇宙の銀河系の一つの大きな系統ですが、宇宙では銀河系みたいなものは

10億以上あります。つまり私たちの地球以外、無限の広い宇宙が存在しており、それに対し地球は、小さい塵のようなものです。 そして私はただ、その小さい地球の上で

一つの小さい山村にいる命の一つです。 そのことを初めて理解した時、私はとても感動しました。

 私は小さい頃から、口が重くて内向的でした。しかし、小さい頃、毎日星と会話した経験は大きくなってからとても役に立っています。 その経験から私は、もっと無限の広い宇宙が存在している事実が分かったからです。 そして人間はやはり出来るだけ自分の狭い世界を乗り越えて、広げることが賢明だと思います。 そして私は、出来るだけ一つでも多くの経験をしたいです。一冊でも多くの本を読みたいです。出来るだけ少しずつでも自分の狭い世界を広げていきたいと思います。

 フランス人作家 ビクトルユーゴーは次のように言っています。「この世界で一番広いのは海だった、海よりもっと広いのは空だった、空よりもっと広いのは人間の心だった」 私はこの言葉を初めて読んだ時は、涙がいっぱいでて止めることが出来ませんでした。 同じように、一年前から高槻西ロータリークラブのお世話になったことは、私にとってとても良い経験になっています。 ロータリークラブのスローガンは「人類は私たちの仕事」であります。 そんな広く立派な考え方は、私にとって非常に魅力的なもので感動的です。

 また話題を星空に戻しますが、私は星に近づくことは出来ませんでしたが、優秀な日本人の2人は月に出会いました。それは北海道大学の毛利博士と慶応医学部の向井先生です。 向井さんの日本の子供たちへの一言のメッセージは次の通りでした。  「宇宙は無重力」私はその言葉が大好きです。 向井さんはそこで一つの簡単な事実を言ったのです。その事実は300年前のイギリス人のニュートンも分かっていなかった。でもそれだけでは好きの理由になりません。私にとって向井さんの言葉は、とても哲学的に魅力的なものです。私たちは生活でどちらが重いか、軽いかをいつも重力によって比較し判断します。言いかえれば、固定観念で判断している訳です。しかし今の地球上では、民族、利害、地域等の狭い範囲での固定観念によって摩擦が生じ、不幸が生まれています。そして私は向井さんの「宇宙は無重力」の言葉を聞いてからよく「重力のない世界、言いかえれば、固定観念のない世界」を想像しています。私はよく想像していますが、なかなか明確なものになりません。

 しかしそのことに対し、私たちの母親は分かっていると思います。母親にとって、子供の命は地球より重いのです。 そこでは見掛けの重力は意味が無いのです。そんな

母親の子だから、今の私もそう考えてみたいです。 それも星空から与えられた見方の一つだと思います。      

 

(2) 故郷の老木とその葉っぱ

                
 故郷は山村でたくさんの木があります。その中の一本の非常に大きな古い木は故郷の自慢のものであります。いつも老木と言われていたので、本当の木の名前と種類は分かりませんでした。  老木の年齢がはっきりと分からないのですが、少なくとも千年以上と言われています。 大きな根は地面に出て、色々な部屋みたいな構造が形成されていて、子供たちのよい遊び場所になっていました。 老木は古いのですが元気です。 毎年、春になるとたくさんの小さな白い花が短い間咲いています。2〜3週間後、緑の葉が出てきます。 秋、その緑の葉は色が変わって金色になり、冬になるとすべての葉が落ちていました。 次の年からまた新しい循環が繰り返されます。

小さい頃、故郷では電気もないし、車やテレビやPachinkoもないし、公園も幼稚園もなかったので、その老木は私たちの公園になりました。春、子供たちは木に登って花を取っていました。酷暑の夏には私たちは老木の下で涼み、晩秋になると厚い落ち葉の上で眠ったり、遊んだりしました。小さい頃は長い間老木の下で過ごすことがありました。

何歳頃からかはっきり覚えてないのですが、よく私たちは老木の下で、一つの非常に簡単なゲームをしました。そのゲームはルールが簡単で、たった2枚の完全に同じ葉を探すことでした。もし誰かが2枚の完全に同じ葉を見つけたらその人は将来、皇帝になると言われていました。またそのラッキーな子は、将来世界で一番の美人を妻にするとも言われていました。私は、どんな目的を持っていたのかははっきり覚えていないのですが、小さい頃何年間をかけて一生懸命探しました。結果は残念ながら2枚の完全に同じ葉が見つけられませんでした。

本当に2枚の完全に同じ葉が無いのでしょうか? その質問に対し今まで私は一度も植物学者に聞いたことがありません。 なぜならば、私にとって科学的な回答がそんなに大事なものではないのです。ただ私は自分の経験から一つの事実だけが言えます。 それは故郷の老木の下で私はほぼすべての少年の時代をかけても、2枚の完全に同じ葉っぱを見つけることが出来なかった。

老木とその葉が私の記憶の奥に強く残って忘れられないものになりました。そして

今でも私にとって世界でたくさんの葉っぱはさまざまな木に所属し、各々の木はそれぞれの土壌と地方にあるので、世界で2枚の完全に同じ葉が存在することはないと思います。そしてたくさんの異なる木と葉が存在するために、この世界は美しく多彩になっていると思っています。

 私は大きくなってから特に医学専門になってから、だんだん人間のことを少しずつ理解してきました。世界の人口は60億以上いるのですが、完全に同じ2人はいないという事実が理解出来ました。人間はそれぞれの家庭、文化、地域、肌の色、民族などによって異なり、人類社会は多様になりました。その為に人類社会は多彩で、元気で、興味深くなっています。 そして人間の個性、人権と自由等を尊重するのは、人類社会の調和と美しさを維持できる根本になると思っています、しかし残念ながらその簡単なことに対したくさんの偉そうな人々が分かっていません。

 私の小さい時、中国で文化大革命がありました。個性、人権と自由を侵害する事件がたくさんありました。おかしいだけではなく非常に残酷なことでした。文化大革命が終わってもその影響が残って、より長い間ある人たちはみんなの思想をただ一つの片寄った思想体系に統一するために強引に色々な変なことをやっていました。私はそんな環境を経験し、そんなやり方は大嫌いです。今でも世界の色々な国では、個人、文化、人種、文明などを否定及び侵害する人々と事件がたくさんあります。その時私はいつも小さい頃、老木の下でのゲームとそのゲームから確立された信念を思い出しています。つまり多彩な世界では、たくさんの木と葉がありますが、2枚の完全に同じの葉がありません。 すべての花が自由に咲いていること、またはすべての葉っぱが元気で生きていくことは世界にとって、一番の大事なことだと思います。

               
老木とその葉から教えられたことはたくさんありますが、ただもう一つ感想を話したいと思います。

 老木の歴史は長くて、千年以上のものでありますが、その葉の寿命は短いのです。

一番元気で美しい葉でも、その年の冬を越すことは出来なくてすべて落ちてしまいます。それは人類の長い歴史と各々個人の短い寿命の関係と似ていると思います。

しかし人間の生命は、樹の葉と似ているのですが、人間は木の葉ではありません。

 ギリシァの哲学者パスカルは次のように言っています。「人間は考える葦」このことから私は人類の思慮または思想が永続して存在し続けることは地球上にとって一番美しい花だと思います。木の葉が落ちたら、その葉の生命は終わりかもしれませんが、人間は違います。今の私たちは、2000年以前の孔子やSocrates等、またより近代的なShakespear,Russell,Einstein等の智慧から多くを学び人生をenjoyすることが出来ます。つまり人類の文明及び智慧の流れは続いて止まらないと思います。それは非常に素晴らしいことだと思います。 そして私は、楊子江南岸の一つの貧乏な村で母の5番目の子供として命を与えられたことは、私にとって非常にラッキーだったと思っています。人間のことを少しずつでもだんだん理解し、人類の智慧、文化及び文明から色々なことを学び、enjoy出来るので、私は人生は非常に美しいものだと思います。“人生は一回だけでは足りない”。私はよく自分に言っています。しかし、私は来世というものが存在するとは、あまり信じてはいません。ですから私は、よく自分に大きな声で言っています、“現世を大事に、元気一杯で生きていく。人生は短いですが努力は無限です。”